いつ頃から、この習慣が身についたのかは判らないが、おそらく高校生の時からだと思う。電車の中で人の顔を見る前に、その人の手を見る癖がついていた。手は顔以上にその人の年齢を表す。特にその手の甲に浮き出て見える青い線、つまり血管はその美しさと醜さの象徴の様に、はっきりとその人の姿を表現している。
自分が高校生の時は、女子高生の手を見てその人を判断していた。いくら顔が可愛くても手が美しくなければ興味を持たなかった。社会人になってからは、手を見てその人の年齢を想像する様になった。手は美しい方が良い、血管は見えない方が美しい。その手は人間の躍動感を感じる。元気さを、エネルギーを感じる。そしてそれから40年が過ぎ、今思うことは手の甲で、その人の真の年齢が判るのだと。
人間の体は補給路が必要だ。全身に養分を供給し老廃物を運び出す。あたかも国家で最も大切なものの一つである、産業の補給路となる全国にまたがる高速道路を想像させる。
この補給路が順調に機能し、物流がスムースに流れている状態の時は、血管が手の甲に見える事は無い。しかし、道路がだんだん狭くなり、車が渋滞し物流が滞ってくると、血管はどんどん手の甲に表れてくる。当然、この状態だとエネルギー補給も老廃物の排出も上手くいかなくなるので、全ての活動が停滞する。つまり、元気が無くなり、結果的に疲労感が解消しない状態になる。これが老化と言える。
電車の中で自然と視線は座っている人、立っている人関係なく、手に向いてしまう。そして驚く事が最近多くなった。手の甲に青い線がはっきり浮き出て、補給路に渋滞が始まっている人で、顔を見ると20代と思われる人が増えてきている。
こんな時、自分の手の甲を見てつい比較をしてしまい、心の中で、この青年より自分の手の甲はもっと若いのでは、と少し嬉しくなるのと同時に、この青年は将来どうなってしまうのだろうと、心配にもなってくる。多分考え方も老化が早く、無気力化が進んでいるのではと思ってしまう。血管は嘘をつかない。そして、血管はその人の実年齢を「表し」その人の気力、活力、そして人生を決定しているのではと思うのである。